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「滋賀の心を首都圏に!」


新田 崇信(長浜市出身)

  私が生まれ育った滋賀県長浜市は、仏教と文化財に恵まれた土地です 。
「観音の里」とも呼ばれ、とても多くの観音様が大切にされてきた歴史があります。山々や田園風景に囲まれた日本最大の琵琶湖が近くにあり、豊かな水と緑に恵まれた美しい場所です。
  地元に居るときには気づきませんでしたが、滋賀を離れて生活することで、滋賀の魅力を強く感じています。

  調べてみますと、滋賀県は隠れた文化財の宝庫。
「国宝・重要文化財」保有ランキング、寺院の数ともに全国第4位で、歴史的価値の高い素晴らしいものがたくさんある地域です。

  そんな中で私が一番心動かされるのは、先人が観音様・阿弥陀様といった仏様を守り続け、しっかりと次の世代へ受け継いでいく文化があること。そして、「仏様を大切にする心」が今も日常の生活の中にあることです。

  このような生活の中に溶け込んだ精神文化の歴史に、大きな重みを感じるようになりました。こういったことも、地元を離れてから見え、感じるようになってきたことです。
  滋賀県で生まれ育った事に、改めて嬉しさと誇りを感じています。


  今、千葉県松戸市の都営八柱霊園の前に、そんな『滋賀の仏様』をお迎えし、 お寺「法要館」をスタートしました。滋賀の先人たちの教えを大切にした空間にしたいと思っています。
「今」、そして「次の世代」へと「滋賀の心を首都圏に!」と活動していきたいと思っています。

大慈山 佛心寺 副住職

令和元年5月



夢は「ビワイチ」


森 貞克(近江八幡市出身)

  故郷近江八幡を離れ48年近くになります。旅行が好きで、未知の世界への憧れもあり、全国に拠点を持つ会社に就職しました。8年間札幌など地方で過ごし、40年は本社勤務のため故郷の滋賀とは疎遠になってしまいました。両親が亡くなってからは年1回程度帰省する程度です。それでも実家が近いサッカーの乾君、短距離の桐生君の活躍や母校の甲子園出場には滋賀県人の血が騒ぎます。高校時代の同級生数十人とは、ほぼ毎年のように北海道や東北への旅行、天橋立カニツアーなどで昔の思い出に浸っています。関東の同級生とは忘年会、新年会などで毎年集まっており、昨年は関西の同級生と合同で1泊の尾瀬散策を行いました。今年も6月に北八ヶ岳を歩く計画を立てています。
  5月上旬に伊豆諸島の三原山と八丈富士に登ってきました。そこで思わぬ出逢いがありました。ホテルでの夕食でフォンデュの材料に赤く四角いものがありました。不思議に思いウエイトレスに尋ねると、「八幡(やはた)コンニャクです」との答えが返ってきました。思わずこれは「八幡(はちまん)コンニャクです」と答えてしまいました。
  山登りとの出逢いは、14年前に女房から誘われ、なんとなく始めましたが不思議な魅力に取り憑かれ今も月2〜3回登っています。古希を迎える今年は槍ヶ岳を目指しています。
  夫婦で海外のトレッキングにも行ってきました。(写真;左からニュージーランド、ネパール、スイスです)男性長寿日本一の滋賀県人として、少しでも長く元気な老後を過ごせればと思っています。夢はロードバイクによる「ビワイチ」です。


令和元年5月

 



気持ちをやさしく包んでくれる故郷…


布川 高男(東近江市出身)

 

  東近江市瓜生津町。私が生まれて高校卒業まで育ったところです。目立った名所や名物もないため、滋賀県でも市外の人には説明してもなかなかわかってもらえないことがよくあります。
  事実、南北に延びるなだらかな低い山が近くに臨める以外、田圃しかないまさに田舎中の田舎でした。その代わり、初夏には青々とした苗が風にそよぎ、秋には黄金色の稲穂が絨毯のように広がる光景はなかなかのものでした。今の人たちの言葉では「インスタ映えする景色」とでも言うのでしょうか。
  地元に何もないとはいえ、さすが寺院数日本一を誇る滋賀県。ほんの少し足を延すだけで名のある寺院がいくつもありました。永源寺や石塔寺、太郎坊宮、百済寺などはよく訪れたところです。とくに、太郎坊宮は兄と弟が結婚式を挙げたところでもありとても親しみを感じています。高校生の頃はバイクで、寺院だけでなく、彦根城や松原水泳場、近江八幡の休暇村、竜王スケートリンク(今はないかな)などにもよく遊びに出かけました。バイクを走らせつつ眺めたキラキラと輝く湖面、緑深い松並木、はるかな湖西の山並みなど、滋賀を思う時いつもそんな美しい景色ばかりが浮かんできます。
  学生生活を含め東京で15年、その後千葉に移って35年になります。今はもう生まれ育った家は道路拡張の影響でなくなってしまいましたが、数年前そこに立ち寄った時、当時とそう変わらない風景と、穏やかにゆっくりと流れている時間や空気に、気持ちがとても柔らかくなったことを覚えています。
  ところで、我が家は妻も子供2人も千葉生まれ千葉育ち。そんな中で滋賀の私はずっとアウェイ感を味わってきました(笑)。ところが昨年娘が滋賀県出身の男性と結婚。以来何か強い味方を得たような感じを抱いている私です。

 

平成30年11月

 





我は湖の子、さすらいの・・・


野村 寿(大津市出身)

 

  大学を卒業した昭和48年春に就職のため上京しました。就職まで実家を離れたこともなく、近い親族に地元滋賀を遠く離れた者もおらず、家族には随分心配されたものでした。
  学生時代はちょうど大学紛争真っ只中の時期であり、入学式以来学校は閉鎖続きとなり、大学に通学するよりも早く大学のヨットクラブに入部し、琵琶湖南端の疎水口にある艇庫に繁く通っていました。

  三高時代からの艇庫は今や築100年を超えてすっかり老朽化していますが、すっかり様変わりした周辺の景色の中で今もその昔を思い起こさせてくれます。
  1917年に作られた「琵琶湖周航の歌」が歌手の加藤登紀子さんによって大ヒットしたのもちょうどその頃でした。毎年、夏には1週間程をかけてヨットで琵琶湖周航を行い、今津、長浜と夜毎湖岸にテントを張って琵琶湖周航歌を肴に酔いしれていたのが良い思い出です。ある年には周航中に台風に見舞われ、琵琶湖の大きさや怖さを身を以て体感したのも良い経験でした。
  某製薬会社の研究開発部門に勤めた私は、特に転勤もなく40有余年にわたり鎌ケ谷市に住み着いております。盆暮れに鮒寿司を送ってくれた両親も既に他界し、益々滋賀が遠のいていますが、10月の「大津祭り」に合わせて年に一度は帰省するよう心掛けています。
  やはり故郷の祭り、曳山巡行に活気あるお囃子は格別ですし、早朝のまだ人気のない三井寺を散策し、琵琶湖畔まで足を延ばして比叡、比良を眺めて、つど滋賀のすばらしさを再認識すると共に今後の発展を念じている次第です。
  子供や孫たちにとっては千葉が故郷であり、今から私が滋賀に居を移すことはないでしょうが、時には日本橋「ここ滋賀」にも足を延ばして滋賀に思いを馳せたいと思っております。

平成30年5月

 

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