トップページ 会長挨拶 活動写真 会員投稿 入会案内・連絡先
役員体制 会則 活動報告 事業報告 広告

会員投稿

 

私はカメ

 

大橋 和男(豊郷町出身)

豊郷小学校旧校舎(円内)と校内階段 ( photo : photolibrary )

 先輩方々の「ふるさとを想う」をいくつか読ませていただき、「田んぼ一面のレンゲにヒバリのさえずり」、「川遊びや缶蹴り」、「春秋の祭り、地蔵盆」等々、昔の情景が一気に蘇リました。
 私は高校までを豊郷村で暮らしました。父は戦前、東京で卓球用品の製造販売をやっていましたが、空襲で実家の豊郷村に避難、農業で暮らしていました。現金収入がないので、やがて父一人が東京に戻り卓球場を再開、農繁期に帰ってくるという生活。帰ってくるときの一斗缶の菓子が本当に待ち遠しかったです。
 兄弟も中学校、高校を出ると、長兄を除き順繰りに東京に出ていきましたので、母、役場勤めの長兄がコメづくリの主役で、戸締り、鶏の世話、風呂焚き、農繁期の昼ご飯づくりが私の役目。
 農繁期は、田植え、水遣リ、草取り、稲刈り、ハサ(稲架)掛け、足漕ぎの脱穀、莚での天日干し等、一通リは手伝いました。夕方では終わらず、月夜の下でハサ掛けが終わったと思ったとたんハサが倒れ、またやり直した場面をよく覚えています。何も考えず、黙々と作業するのは苦になりません。私の辛抱強さは、小中学時代の百姓仕事で培われたように思います。
 さて、卒業した豊郷小学校の階段手摺には、イソップ蛮話を模した「ウサギとカメ」の置物が置かれています。ウサギは昼寝してカメに追い越されますが、世の中には昼寝をしてくれないウサギもいて、道を見つけられず右往左往している私を早々に追い越していきます。
 でも私はウサギにはなれません。回り道でその時は不要な多くのものを拾い、いつか幅広い知識や大きい心情のすそ野をもってウサギに並びたい、私はカメで す。

(令和7年2月)

 



 

故郷二題

 

小古田 英治(日野町出身) 


遠く故郷を思う

稲田から望む竜王山と綿向山

琵琶湖から 遠く離れた
山あいの 故郷よ
夢は枯野か 空蝉か
稲架掛けに しなるは稲穂
峰は重なり 薄く濃く
吹く風さやかに ゆらす花


折に触れ 姉の電話は
懐かしく 聞く訛り
曾孫交えた 大家族
気がつけば 兄弟姉妹
何時の間にやら この俺も
頑固な親父と 同じ年


長生きの 相と名指した
先生が やけに気に
さくら咲く 川伝い
石蹴りし 通った友よ
今も元気で いるだろか
地酒が沁みるよ 「花の友」


湖東三山
(西明寺・金剛輪寺・百濟寺)
紅葉も見事な秋の百濟寺

湖に続く 遠き野に
信仰篤き 人びとの
浄き心の よりどころ
「おかげさんでなあし」
霞たなびく 朝霧に
湖東三山 静かにおわす


万葉浪漫 夢そぞろ
大宮人の 歌碑うれし
慣れぬ参道 杖借れば
「ようおまいりやす」
訛りなつかし 近江路は
湖東三山 血染めの紅葉


訪ねて久し 故郷は
床しきまでの 風の色
座像優しく 目を細め
「またもんといでや」
黙す立像 見やる先
湖東三山 茜に暮れる


     (令和6年11月)

 



 

滋賀県スペシャルデー 西武球場観戦記

 

竹本 豊子(長浜市出身)

 

ベルーナドーム(西武球場)

 西武球場へ初めて行って来ました。私の故郷・滋賀の近江鉄道が上下分離方式(※)に移行しましたが、そのスタートを契機に滋賀県と近江鉄道が西武グループとの関係を強化しようと<滋賀県スペシャルデー>なるコラボ企画が立てられました。それが4月13日に行なわれた西武球場での埼玉西武ライオンズと福岡ソフトバンクホークスの公式戦観戦です。滋賀県人会割引もあり、私はこの機会を逃す手はないと考え参加したのです。

※沿線自治体でつくる「近江鉄道線管理機構」が線路や駅舎などを維持管理し、近江鉄道が列車の運行を行う運営方式

 完売御礼が出て球場は満杯。三日月滋賀県知事の始球式もボールはキャッチャーミットに見事に納まりました。球場からはライオンズマーク付きのダンボールニットジャケットを、近江鉄道からはライオンズのミニフラッグが配布され、応援体制は万全。三日月知事と滋賀県東京本部長の中村守氏が県人会席に顔を出したり、整然とした応援合戦に感動したりしました。
 試合は、11対2でソフトバンクの圧勝でしたが、ソフトバンクの山川が満塁ホームランを2本、最後の9回裏に西武のアギラーが一矢を報いた2ランホームランを見ることができ、楽しい観戦でした。
 次の日14日は私の故郷では、長浜曳山祭の夕渡りで、ここ数年知事が提灯を持って行列の先頭に立って参加してもらっています。知事さんも忙しいですね ! 

(令和6年4月)



 

 

日野商人サミット

 

新納 瑞穂(日野町出身)

 

日野商人サミット(日野町広報)

 令和5年11月 埼玉県大宮市で第2回「近江日野商人サミットin北関東」の題で堀江日野町長による町の政策プロジェクトの紹介と満田良順日野商人館長の講演を聞く機会があり、千葉滋賀県人会からも日野出身の6人が参加しました。
 蒲生氏の城下町として栄えた日野は蒲生氏郷の伊勢松坂・会津若松への転封により衰退したが、「日野椀」・「日野合薬」の行商に活路を見出しました。そして日野商人は徳川幕府の庇護を受け、「日野大当番仲間」という組合を組織し個々の商人の活動を支え合い、「陰徳善事」の精神を忘れることなく、主として中仙道を経由して江戸日本橋までの各地に根付き、信用を得て「千両店」と呼ばれる醸造業を中心とした小さな店を数多く展開し,江戸時代以降全国で900軒を超えました。その約半数は、群馬・埼玉・栃木・茨城など北関東への出店だったとのことです。
 現在でも多くの近江日野商人の末裔が北関東で活躍しています。埼玉県では秩父の矢尾本店(「秩父錦」などの酒造業)・矢尾百貨店などが有名です。
 一方、千葉県への出店は江戸時代13軒 、明治時代4軒と少なく、水戸街道沿いの松戸・小金・我孫子に小規模宿場があったものの、出店に魅力的な環境ではなかったと推察されます。
 尚、この講演会の合間に滋賀県出身の落語家「三遊亭わん丈」氏(今年3月に15人抜きで真打に昇進)の古典落語「日野椀」を楽しみました。
 このサミットに触発され、12月3日には日本3大曳山祭の秩父神社の例大祭(秩父夜祭)の見物がてら秩父駅から車で10分の矢尾本店「酒造りの森」に寄りました。

秩父神社例大祭曳山(左)と 秩父・矢尾本店「酒造りの森」

 水質の良い自然豊かな森に囲まれた佇まいの醸造工場(地酒「秩父錦」)、酒蔵資料館(270年の酒造りの歴史)、物産館が併設されています。酒造りの工程は現在機械化が進んでいますが、作業で一番の力仕事は酒を取り出した後の円球状の大タンクの中を清掃することだとの説明を受けました。その作業中も同じ部屋の中に他の醸造中のタンクがあり、部屋の温度を11℃に保たなくてはいけないので、作業員の体温で室温が上がるのを防ぐため冷房をつけて品質の保持に努めているとのことでした。

(令和6年4月)

 

 


 

令和元年〜5年の「会員投稿」はこちらから閲覧できます。